ニクソン・ショックとは|原因や日本への影響などをわかりやすく解説
ニクソン・ショックとは、1971年に米国のニクソン大統領が米ドルと金の交換停止を発表し、固定為替制度(ブレトンウッズ体制)が事実上崩壊した出来事です。
これを機に米ドル/円=360円の固定相場制が終了し、1973年に変動相場制に移行しています。
本記事では、ニクソン・ショックの意味や原因、影響などを解説します。
目次
- 1.ニクソン・ショックとは
- 2.ニクソン・ショックの主な原因
- 3.ニクソン・ショックが与えた影響
- 4.ニクソン・ショックに関するQ&A
- 5.【まとめ】ニクソン・ショックとは|原因や日本への影響などをわかりやすく解説
ニクソン・ショックとは
ニクソン・ショックとは、1971年に米国のニクソン大統領が米ドルと金の交換停止を発表し、固定為替制度(ブレトンウッズ体制)が事実上崩壊した出来事です。
ここでは、ニクソン・ショック前後の外国為替制度や、歴史的意義について解説します。
- ・ブレトンウッズ体制
- ・固定相場制から変動相場制へ
- ・歴史的意義
ブレトンウッズ体制
ブレトンウッズ体制とは、第二次世界大戦後の国際的な通貨の枠組みを指します。
米ドルと金(きん)の交換比率を1トロイオンス=35米ドルと定め、米ドルと各国通貨の交換レートを固定しているのが特徴です。
第二次世界大戦末期の1944年、主要な連合国は米国ブレトンウッズのホテルで戦後の通貨制度について協議しました。
第二次世界大戦の遠因の1つとして、各国による通貨切り下げ競争が指摘されています。
そこで、安定的な通貨制度(金・ドル本位制)を確立することで合意しました。
固定相場制から変動相場制へ
1971年、米国のニクソン大統領が金兌換(米ドルと金の交換)停止を発表し、ブレトンウッズ体制は終了しました。
これをニクソン・ショックと呼びます。
ブレトンウッズ体制終了後、金兌換は停止しつつも固定相場制を維持する試み(スミソニアン体制)が採用されました。
この試みを維持できず、1973年に変動相場制に移行しています。
これ以降、現在に至るまで日本など主要国は変動相場制を採用し続けています(一部の国では為替介入を伴う「管理フロート制」を採用)。
歴史的意義
ニクソン・ショックは現代国際金融システムの出発点となった歴史的転換点です。
金本位制が終了し、通貨の価値が政府・中央銀行の政策運営に依存する時代が始まりました。
1973年の変動相場制移行により、各国の金融政策の独立性が向上した一方、通貨危機や投機的資本移動のリスクも生まれました。
ニクソン・ショックの主な原因
ニクソン・ショックの主な原因と指摘されているものは、以下の通りです。
- ・ベトナム戦争
- ・貿易赤字
- ・金の海外流出
ベトナム戦争
ベトナム戦争とは、南ベトナムと北ベトナム間の戦争です。
米国は1965年に軍事介入し、戦費がかさんで財政赤字が拡大しました。
これがインフレを招き、米ドルの信認低下につながったとされています。
貿易赤字
第二次世界大戦後に日本やドイツなどが経済力をつけて、米国に輸出しました。
その一方、米ドルと各国の通貨の交換比率は固定されていたため、米国と各国の経済力のバランスの変化が為替レートに反映されず、米ドルは過大評価される状態になりました。
この結果、米国は貿易赤字が膨らんだとされます。
金の海外流出
米国の財政赤字拡大、インフレ、貿易赤字の拡大そして米ドルの信認低下を受けて、各国は手元の米ドルが確実に金と交換できるかどうか、確信を持てなくなりました。
このため、米ドルを金と交換する動きが活発化し、米国の金準備が減少する事態に陥っています。
米国は金兌換に応じられなくなったため、ニクソン米大統領は金兌換を停止し、ニクソン・ショックが発生しました。
ニクソン・ショックが与えた影響
ニクソン・ショックを受けて金兌換は停止したものの、固定相場制度の維持が画策され、スミソニアン合意(協定)が成立しました。
スミソニアン合意を受けて、1米ドル=360円だった為替レートは308円に切り上げられました。
他の主要国も為替レートの変更を余儀なくされています。
各国の輸出産業は競争力を削がれることになり、打撃を受けたとされます。
国名 | ブレトンウッズ体制下の固定レート | スミソニアン合意での固定レート | 切り上げ率 |
---|---|---|---|
日本 | 360円 | 308円 | 16.88% |
西ドイツ | 4.2マルク | 3.2225マルク | 13.58% |
フランス | 3.5フラン | 5.1157フラン | 8.57% |
しかし、インフレ圧力などの要因により合意は機能せず、わずか1年あまりで1973年に変動相場制に移行しました。
変動相場制への移行により通貨交換レートの安定性は失われた一方、円やドイツマルクなどは購買力を増加させており、主要各国は世界でのプレゼンスを高めた可能性があります。
ニクソン・ショックに関するQ&A
ニクソン・ショックに関するよくある質問は、主に以下の通りです。
- ・ニクソン・ショックはいつ起こったのですか?
- ・ドルショックとは何ですか?
- ・プラザ合意とは何ですか?
ニクソン・ショックはいつ起こったのですか?
ニクソン・ショックは1971年8月15日に起きました。
ニクソン大統領が金と米ドルの交換停止を発表したことを契機としています。
ドルショックとは何ですか?
ドルショックとは1971年のニクソン・ショックを意味します。
米ドルと金の交換が停止され、米ドルの信認が揺らいだことで市場では米ドル安が進行しました。
また、米国は自国への輸入品に対して10%の輸入課徴金を課しています(1971年12月にスミソニアン協定の成立を受けて廃止)。
プラザ合意とは何ですか?
プラザ合意とは1985年の主要5か国(日米英独仏)による協調的な市場介入を指します。米ドル高の是正を目的とし、各国は自国通貨を買うとともに米ドルを売りました。
急激な円高を受けて、日本は景気が後退しています。
【まとめ】ニクソン・ショックとは|原因や日本への影響などをわかりやすく解説
ニクソン・ショックとは、1971年に米国のニクソン大統領が米ドルと金の交換停止を発表し、固定為替制度(ブレトンウッズ体制)が事実上崩壊した出来事です。
1973年に変動相場制に移行し、変動相場制は現在に至るまで有効に機能しています。
ニクソン・ショックの主な原因としては、米国の財政赤字の拡大や金の海外流出などが挙げられています。
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