リフレ派が重視するマンデル=フレミング・モデルの盲点
マンデル=フレミング・モデル(MFモデル)が、高市政権下で脚光を浴びている。
このモデルは、「開かれた経済」、すなわち完全な資本移動と、変動相場制の下で、財政政策や金融政策がどのような効果をもたらすかを分析するためのマクロ経済理論である。
MFモデルは、ケインズ経済学を基にしており、短期的な景気変動や政策の影響を考える際に使われる。
もともとのIS-LMモデル(財市場と貨幣市場の均衡)に、国際収支の要素を加えたもので、利子率(金利)と国民所得(≒実質GDP)との関係を同時に捉えることが可能。
MFモデルに基づけば、以下のように説明できる。
「財政政策は通貨高を通じて、GDPへの効果は限定的」
財政拡大→国内金利が上昇→円高→輸出減少、輸入増加→景気刺激効果が打ち消される(クラウディング・アウト)→GDPへの効果は限定的
「金融緩和政策は通貨安を通じて、GDPを押し上げ」
金融緩和(利下げ)→円安→輸出増加、輸入減少→外需拡大→GDPを押し上げ
高市政権で日本成長戦略本部に参加するリフレ派の元日銀審議委員の片岡剛士氏やクレディ・アグリコルの会田卓司チーフエコノミストは、MFモデルを背景に、財政政策の拡大は国内の名目金利の上昇により、円高につながると主張する。
MFモデルに従えば、その通りだ。
しかし、日本の現状を踏まえれば、必ずしも当てはまらない3つの理由が考えられる。
①期待インフレ率の上昇による実質金利低下
・財政拡大がインフレ期待を高めると、名目金利が一定でも実質金利は低下する
・実質金利低下で、円安圧力が強まる(→資本流出、輸出増)
・新しいケインジアンモデル(NKモデル)やフィッシャー効果の文脈で説明可能
→「財政拡大→インフレ期待上昇→実質金利低下→円安」という逆のルートに

チャート:足元で、既に日本は他国と比較し実質金利(政策金利とCPIの前年比の差)は深いマイナスに
②国際資本移動の不完全性・リスクプレミアムの存在
・MFモデルは「完全な資本移動」と「金利平価の成立」を前提
・しかし現実には、為替リスク・規制・地政学的要因により、金利差だけで資本が動くとは限らない
・特に日本のように低金利でも信用度が高い国では、円キャリートレードの巻き戻しが起きにくい
→資本移動の弾力性が有限であれば、金利上昇=即円高とはならない
③財政拡大が「信用懸念」や「財政持続性リスク」を高める場合
・財政拡大が「財政悪化→国債の信認低下→円売り」の経路を通じ、円安となるケースあり
・特に総債務がGDP比230%超えの日本の場合、金利上昇がむしろ円安要因となりうる
→英国では2022年に「トラス・ショック」発生、ソブリンリスク(財政悪化や政情不安などで)
この他、ケインズ派の「流動性の罠」に基づき、長年にわたるマイナス金利やイールド・カーブ・コントロール(YCC)を含む大規模緩和政策でIS曲線が右へシフトしても、金利が上昇せず、円高圧力が生じにくい場合がある。
ただし、足元は2024年3月に大規模緩和政策が解除されており、今回は該当しない。
以上を踏まえれば、日本のような低金利・高債務・インフレ転換期の経済では、マンデル=フレミング効果が理論通りに作用しないと考えられよう。
むしろ、実質金利や国債需要構造、市場の想定を上回る規模の景気支援策などを通じた財政リスクプレミアム、為替リスクなどを踏まえた複合的な分析が必要と言えるのではないか。
事実、為替市場では円安が進行中だ。
ドル円は11月18日に一時155.74円と2月初め以来の高値をつけた。
ユーロ円は一時180.29円、スイスフラン円も11月14日に一時195.60円と、それぞれ最高値を更新。
円全面安の様相を呈している。
通貨別のインデックスでも、高市首相が誕生した10月22日を起点に、円は一時2.3%下落し他通貨に対し弱含んだ。

チャート:各通貨インデックスで、円は10月21日から2.3%安
(出所:TradingView)
同時に、日本の国債利回りは上昇基調をたどる。
新発10年債利回りは11月19日に一時1.7775%と2008年6月以来のレベルへ上昇。
新発20年債利回りも、1999年以来の高水準をつけた。
補正予算の見通しが明らかになった後に実施された20年債入札は、応札倍率が3.28倍と、前回の3.56倍と過去12カ月平均の3.3倍を下回った。
落札価格は98円30銭、大きいと不調を示すテール(落札価格の最低と平均の差)は31銭で、前回の15銭から拡大した。
「責任ある積極財政」が実現しつつある過程で、金利は上昇するが、円買いで反応していないのは明らかだ。
高市政権下での経済対策は20兆円超えか、身構えるマーケット
高市政権下、経済対策は物価高への対応を柱に、所得税の「年収の壁」引き上げやガソリン税・軽油の暫定税率の廃止による大型減税、財投融資などを含め、20兆円超えの規模で調整に入ったと報じられた。
裏付けとなる補正予算案は、14兆円となる見通し。
なお、2024年度の経済対策(景気底上げ・物価高対策)の規模は21.9兆円、裏付けとなる補正予算は13.9兆円だった。
自民党有志による「責任ある積極財政を推進する議員連盟」は11月18日、経済対策の規模を「25兆円とすべき」と主張した。
規模を拡大したとしても、長期金利が大幅に上昇するリスクは低いと指摘。
むしろ「持続的な名目成長を期待した正常化の動き」との考えを強調した。
Q3の実質GDP成長率・速報値が前期比年率1.8%減と、6四半期ぶりのマイナスだったことも、響いた格好だ(ただし、自動車による落ち込みなどを受けた純輸出と、規制導入の反動に伴う住宅投資、それぞれの押し下げが影響)。
国の債務を比較する上で、国際通貨基金(IMF)の総債務のGDP比が用いられるケースが多い。
その場合、日本はGDP比で2024年に236.7%と最も高い。
一方で、日本の純債務(総債務から金融資産を差し引いたもの)のGDP比では2025年の推計ベースで130.1%。
日銀の資金循環統計のベースでは、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の金融資産も併せて算出され、日本の純債務のGDP比はQ2に83.0%まで低下する。
こうした数字をみれば、財政余地があるかのように映る。

チャート:主要国別、政府総債務のGDP比

チャート:主要先進国別、純債務のGDP比(日本は点線が日銀の資金循環統計での数字)
しかし、財政の持続可能性や市場の信認という観点からは、単純に純債務の水準だけで判断するのは、3つの点で尚早と言えそうだ。
1つ目に、ネット債務の計算に含まれる政府資産の多くは、年金積立金や政府系金融機関の保有資産であり、短期的に財政赤字の補填に使えるとは限らない。
これらは制度的に目的が限定されており、GPIFが該当する公的年金の積立金運用に関する主な法律でも、「長期的な観点からの安全かつ効率的な運用」が定められている。
したがって、「使える資産」と「保有している資産」は一致しない。
2つ目に、IMFのチーフエコノミストを務めたオリヴィエ・ブランシャール氏が論じる通り、政府債務の持続可能性は「金利(r)と経済成長率(g)の差」に依存するとの説が挙げられる。
g>rであれば問題ないとされるが、将来的に金利が上昇し、成長率を上回るようになれば、債務の利払い負担が加速度的に増大し、ネット債務が低くても財政は不安定化する。
3つ目に、ここが最も大きく警戒される点だが、国債市場において、特にインフレ加速局面では、名目債務の絶対水準や将来の発行見通しが重視される傾向を無視すべきではないだろう。
たとえネット債務が低くても、財政規律が緩む兆候が見られれば、金利上昇や通貨安を通じて、リスクプレミアムが拡大しかねない。
この点は、2つ目のr>gになるリスクと連動する。
マーケットは、必ずしも経済モデルや理論通りに動かない。
足元では、国債や円が売られるだけでなく、日本株にも売り圧力が加わり、トリプル安も確認されている。
高市政権発足後、「日本版トラス・ショック」の懸念が囁かれてきたが、MFモデルを重視する姿勢を維持し財政拡張路線へ突進するならば、市場の不安が現実味を帯びる可能性も否定できない。
高市政権は、日本版DOGEである「政府効率化局」立ち上げ表明し、補助金を検証する方針を表明したが、足元で市場は材料視していないようだ。

Provided by
株式会社ストリート・インサイツ代表取締役・経済アナリスト 安田佐和子
世界各国の中銀政策およびマクロ経済担当の為替ライターの経験を経て、2005年からニューヨークに拠点を移し、金融・経済の最前線、ウォール街で取材活動に従事する傍ら、自身のブログ「My Big Apple NY」で現地ならではの情報も配信。
2015年に帰国、三井物産戦略研究所にて北米経済担当の研究員、双日総合研究所で米国政治経済や経済安全保障などの研究員を経て、現職。
その他、ジーフィット株式会社にて為替アンバサダー、一般社団法人計量サステナビリティ学機構にて第三者委員会委員を務める。
NHK「日曜討論」、テレビ東京「モーニング・サテライト」の他、日経CNBCやラジオNIKKEIなどに出演してきた。
その他、メディアでコラムも執筆中。
X(旧ツイッター):Street Insights
お問い合わせ先、ブログ:My Big Apple NY
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