米雇用統計、5月と6月の異例な下方修正で顕在化した問題点

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米7月雇用統計、過去2カ月分の下方修正は2020年春以来で最大

世界で最も注目される経済指標の一つとして、「米雇用統計」を挙げる市場関係者は少なくないだろう。
その米雇用統計の信任が問われている。

米7月雇用統計・非農業部門就労者数は前月比7.3万人増と、市場予想の11万人増を下回った。
しかし、衝撃が走ったのは、過去2カ月分の修正値だ。
6月は13.3万人の下方修正(14.7万増→1.4万人増)、5月の12.5万人の下方修正(14.4万人増→1.9万人増)と合わせ、過去2カ月分で25.8万人と、驚愕の下方修正となった。
コロナ禍の経済活動停止と景気後退を挟んだ影響で64.2万人の下方修正を記録した、2020年3~4月以来の規模である。

チャート:米雇用統計・NFP、2023年以降、30回のうち22回は下方修正
チャート:米雇用統計・NFP、2023年以降、30回のうち22回は下方修正

トランプ大統領は米7月雇用統計が発表された8月1日、発表元の米労働統計局(BLS)が「政治的な目的で操作してきた」と糾弾し、BLSのエリカ・マッケンターファー局長の解任を命じた。
マッケンターファー氏は、2023年7月にバイデン大統領(当時)の指名を受け、2024年1月にBLS局長に就任していたが、同日、解任に。
ホワイトハウスは8月1日に公表した声明で、マッケンターファー氏が局長を務めていた期間に、以下の不祥事や問題が発覚したと指摘。
以下がその内容で、一番上の薄緑枠は筆者が追加したものだ。

マッケンターファー氏が局長を務めていた期間の不祥事や問題
チャート:マッケンターファー氏が局長を務めていた期間の不祥事や問題

米雇用統計・NFPの修正については、コロナ禍という特殊要因と、その後の経済活動の変化を受けて、米雇用統計・NFPには、バイデン前政権時代から一部のエコノミストや市場関係者の間で、疑問が持たれていた。

特に、2022年3月からの利上げの影響もあり、2023年1月から2025年7月まで、NFPは30回中、22回の下方修正を迎えていた。
トランプ氏も、マッケンターファー氏の解任にあたり、同氏が2024年の米大統領選の最中に「雇用統計を改ざん」し、民主党候補のハリス副大統領が有利となるよう図ったと非難。
一例として「2024年大統領選直前の8月と9月に、11.2万人分の過大報告を行った」と取り上げた。

ただし、雇用統計の算出には何百人もの職員が携わり、統計の改訂は、初期速報値から月次・年次で段階的に行われ、各段階で複数の担当者が関与するため、局長個人が恣意的に操作する余地は制度上極めて限定的と考えられる。
また、BLSは米国連邦政府の統計品質基準(Statistical Policy Directive No. 3)に準拠しており、政治的干渉を排除するための制度的枠組みが整備されている。
マッケンターファー氏が独断で「政治的な目的で操作」できそうもない。

NFPの下方修正、1990年以降で171回

そもそも、NFPの修正はどのような傾向をもつのだろうか。
1990年以降のデータを基に分析したところ、1990年1月から2025年6月まで、426回のうち、下方修正は171回と、上方修正は252回、修正なしは3回だった。
すなわち、上方修正は全体の59%、下方修正は40.1%を占める。

下方修正のワースト10を振り返ると、リーマン・ショックを引き起こした金融危機が4回、コロナ禍が2回となり、かつ過去データを踏まえれば、ITバブル崩壊時を除き、景気後退期に下方修正が頻発してきた。
景気後退期には回答遅延や事業所の閉鎖などにより、初期推計が過大となる傾向があるためだ。
これは制度的な欠陥ではなく、統計設計上の制約に起因するものである。

しかし、ワースト10に2025年5月と6月が含まれるように、リセッション入りしていないにもかかわらず、大幅な下方修正を迎えた。
加えて、トランプ第2次政権が発足した2025年の6月まで全て下方修正となり、平均の下方修正幅は7.7万人に及ぶ。
バイデン前政権下の2023年も、6月まで毎回下方修正され、平均の下方修正幅は5.4万人となったが、当時は2022年3月からの利下げが響いたと考えられよう。
では足元はどうかというと、主に①回答率の低下、②回答収集で生じる遅延、③トランプ政権下の連邦政府職員の人員削減――が影響したと捉えられる。

チャート:1990年以降の下方修正幅、ワースト10
チャート:1990年以降の下方修正幅、ワースト10

5月と6月の下方修正、公立学校などの回答遅延が一因

雇用統計は、約12.1万の企業・政府機関と約63.1万の事業所を対象に給与支払い帳簿の調査を実施する事業所調査(NFP、平均時給、週当たり労働時間など)と、6万世帯への聞き取り調査を基に算出する家計調査(失業率や労働参加率、就業率など)に分かれる。
なお、BLSは2024年6月に家計調査のサンプル数を6万世帯から5.5万世帯に削減する方針を表明したが、webサイトでは8月4日時点で6万世帯のままだ。

米7月雇用統計で5~6月の下方修正が記録的な規模に拡大した理由について、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)紙は、「公立学校の下方修正が影響し6月時点でBLSの推計値を10万9,100人下回っていたほか、他業種からの回答の遅れも下方修正につながった」と報じた。
実際、公立学校を含む州・地方政府は米7月雇用統計発表時点で5月分が8万人の下方修正、6月分も6万人の下方修正となっていた。
回答の遅延は、企業の問題だけではなく、トランプ政権の職員人員削減により、収集作業が遅れた側面も否定しづらい。

チャート:政府の雇用者数の増減、5月と6月の修正
チャート:政府の雇用者数の増減、5月と6月の修正

一方、米6月雇用統計での事業所調査の回答率についてWSJ紙は59.5%と概ね過去平均に近い水準だった伝えた。
しかし、これについては疑問符が付く。
サンフランシスコ(SF)連銀が7月に公表したエコノミック・レターにある通り、回答率はコロナ禍で低下の一途をたどり、2025年3月には42.6%へ低下した。
2014~19年平均の60.9%を大幅に下回っており、6月のみ60%近くへ跳ね上がるとは考えづらい。
なお、事業所調査(CES)、家計調査(CPS)、雇用動態調査(JOLTS)の回答率は、直近で以下の通り。

  • ・CES(事業所調査、NFPや平均時給など)→3月に42.6%、20年2月は59%
  • ・CPS(家計調査、失業率や労働参加率など)→4月に68.1%、20年2月は82.3%
  • ・雇用動態調査(JOLTS、求人件数など)→3月に35.2%と、20年2月は56.4%

チャート:事業所調査(CES)やJOLTS(雇用動態調査、求人件数を含む)、家計調査(CPS)は、そろって低下トレンドを保つ
チャート:事業所調査(CES)やJOLTS(雇用動態調査、求人件数を含む)、家計調査(CPS)は、そろって低下トレンドを保つ

回答率が低迷すれば、速報値を中心に、業績が堅調で回答余力のある企業の偏りが結果に反映され、雇用の実態が過小評価される制度的リスクが生じかねない。
WSJ紙も、7月の記事で「雇用統計の調査に回答する企業は比較的、大企業が多い可能性」について問題視していた。

しかし、SF連銀の前述したペーパーでは、回答率の低下に伴うデータの正確性と信頼性への懸念を引き起こすものではないと結論づけた。
年平均の数字で比較すると、2022年以降のNFPのデータ改訂は、1990年から2019年のパンデミック前の平均とほぼ同じ水準にとどまるというのが、その理由だ。
BLSは非回答補正(nonresponse adjustment)や季節調整モデルを用いて、統計の偏りを最小化する制度的工夫も、施している。
SF連銀が指摘するように、年平均ベースでは改訂幅が安定していることは、こうした制度的補正の有効性を示していると言えよう。

トランプ大統領は新たなBLS局長を数日内に指名へ、ADPに存在感も?

トランプ氏は8月3日、数日内に新たなBLS局長を指名すると述べた。
弱い米7月雇用統計を受けて、トランプ氏がBLS局長の解任を決定した事情を踏まえれば、データの独立性や信頼性が損なわれる懸念がくすぶる。
J.P.モルガン・チェースのマイケル・フェローリ米国担当首席エコノミストは、「データ収集プロセスの政治化というリスクも見過ごされるべきではない」と注意を促す。

米雇用統計の独立性信頼性が毀損されるなら、米ADP全国雇用者数の存在感が強まるシナリオに留意しておきたい。
同指標は、ADPが管理する約2、500万件以上の米国民間企業の給与支払いデータをベースにしており、従業員数の規模別でも1~19人から500人以上と、カバレッジが広い。
米ADP全国雇用者数と米雇用統計・民間就労者数の乖離が大きいと懸念され、1月から6月までの6カ月間で、速報値ベースの5.3万人のマイナスに及んでいた。
この問題点も、修正値ベースで3.6万人のマイナス、つまりADPが民間就労者数を3.6万人下回る程度に縮小する。
これまで、米ADP全国雇用者数はNFPとの乖離が大きいとして、精度が問題視されていた。
しかし、今後はADPのデータが名誉挽回につながる可能性がありそうだ。

チャート:ADP全国雇用者数、NFPの民間就労者数の推移と、両者の乖離
チャート:ADP全国雇用者数、NFPの民間就労者数の推移と、両者の乖離

株式会社ストリート・インサイツ代表取締役・経済アナリスト 安田佐和子

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株式会社ストリート・インサイツ代表取締役・経済アナリスト 安田佐和子

世界各国の中銀政策およびマクロ経済担当の為替ライターの経験を経て、2005年からニューヨークに拠点を移し、金融・経済の最前線、ウォール街で取材活動に従事する傍ら、自身のブログ「My Big Apple NY」で現地ならではの情報も配信。
2015年に帰国、三井物産戦略研究所にて北米経済担当の研究員、双日総合研究所で米国政治経済や経済安全保障などの研究員を経て、現職。
その他、ジーフィット株式会社にて為替アンバサダー、一般社団法人計量サステナビリティ学機構にて第三者委員会委員を務める。
NHK「日曜討論」、テレビ東京「モーニング・サテライト」の他、日経CNBCやラジオNIKKEIなどに出演してきた。
その他、メディアでコラムも執筆中。
X(旧ツイッター):Street Insights
お問い合わせ先、ブログ:My Big Apple NY


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