ベッセント財務長官の「ビハインド・ザ・カーブ」発言、日本を狙い撃ち
ベッセント財務長官は、イエール大学時代に同級生から「クレイジーな面々とも協調できる、バランス感覚のある人物(a balanced guy who can work with crazy folks)」と評価されたことが記録として残っている。
しかし、こと日銀の金融政策をめぐっては、彼自身が一線を越えてしまった。
同氏は8月13日、ブルームバーグに出演し日銀には利上げが必要との見解を表明。
米財務省のカウンターパートではない、日銀による年内追加利上げ期待を再燃させるという、極めて異例な言動に出たのである。
ここで、ベッセント発言がどのように飛び出したのか、確認していこう。
足元で日本や英国、欧州などで30年債利回りが上昇するなか、発行する意義について問われた際、ベッセント氏はまず「我々はインフレ期待を低く保つことにコミットしている。そしてこれは、米国だけでなく世界的な現象だ」と説明。
司会者が直近で米10年債と米30年債の利回りに乖離、つまりスプレッドの拡大がみられると指摘しつつも、ベッセント氏は米国の10年債利回りは今年に入って下がっている数少ない国債のひとつ」と強調した。
その理由として、ベッセント氏は「米財務省やFRBに対する信頼があり、インフレ期待がしっかりと抑えられている証拠だと私は見ている」と回答したものだ。
ここからが、日本への言及となる。
いの一番に日本を名指しし「日本では明らかに(インフレから金利上昇への)“波及=leakage”が起きている」と言及。
その上で「日本はインフレの問題を抱えており、私は植田総裁とも話をした」と明らかにした上で「これは私見だが、彼らは“ビハインド・ザ・カーブ”に陥っていると思う。日銀は利上げを進め、インフレ問題をきちんと制御する必要がある」と言い切った。
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この後に続いたベッセント氏の発言は、独30年債利回りは急伸し、米30年債利回りもつれたとの内容にとどめていたことを踏まえれば、日本については狙い撃ちしたかのようだ。
ベッセント氏、就任直後から日本を念頭入れた発言を展開
ベッセント氏が財務長官に就任してからの発言を踏まえると、日銀に対し利上げを望む姿勢が見え隠れする。
特に2月6日には、多くの国が大規模な黒字を蓄積している理由に、為替レートや金利抑制を挙げた。
この発言は、2月5日に植田総裁とオンライン会談を行った翌日に飛び出したため、当時、市場関係者の間では日本を念頭に入れた言葉では、との思惑が広がったものだ。
また、こうした発言の裏に、トランプ政権の思惑が見え隠れする。
2月13日に発表された相互関税の調査要件に「為替レート」が含まれていた。
加藤財務相は、一貫して日米関税交渉で「為替は含まれない」立場を強調していたが、ベッセント氏は4月25日に加藤氏と会談した後に投稿したXで「相互貿易に関する議論を引き継ぎ、為替レートに関する事項についても話し合えたことを嬉しく思う」と言及していた。
日米の間で、為替を巡る協議において温度差が感じられる。
チャート:ベッセント財務長官、2月の発言内容、相互関税の調査要件など
画像:ベッセント氏、加藤氏との会談に関する投稿で為替に言及
(出所:Treasury Secretary Scott Bessent/X)
日経とブルームバーグのインタビュー、日銀への姿勢の変化の理由は
ベッセント氏は、日経新聞とのインタビューで、6月にトランプ政権として初めて公表された為替報告書についての質問にも応じた。
当時の為替報告書では、日本をめぐり新たに「日銀は国内の経済基盤に対応し、金融引き締めを継続すべきで、対ドルでの円安の正常化と二国間貿易の必要な構造的リバランスにつながる」との文言が加わった。
これに対しベッセント氏は、植田氏とは10年以上の知り合いと述べた上で「日銀が経済のファンダメンタルズやインフレ率、成長率に焦点を当てて金融政策を進めるならば、為替レートは自然と調整されるだろう」との見解を表明。
その上で「植田総裁と政策委員会は、為替レートではなくインフレ目標の達成を目指しているとみている」と述べる程度にとどめた。
もっとも、日経新聞の清水功哉編集委員は、自身のXで「6月に出た下記の『外国為替政策報告書』の記述と基本的に同じ」と投稿しており、掲載された内容より、踏み込んだ言及があったとしてもおかしくない。
そう考えれば、日経新聞のベッセント氏インタビューから数日後の13日、同氏が日銀に「ビハインド・ザ・カーブに陥っている」とし、日銀には利上げとインフレの制御が必要と迫ったのも、頷ける。
もう一つ考えられるならば、この間に植田氏と意見を交わした可能性が浮かび上がる。
その上で、日銀の利上げペースに疑問を持ったからこそ、インフレを制御すべく利上げすべきとの発言に至ったのではないだろうか。
日銀が利上げを行いつつも、実質金利はマイナス2.8%と世界で最も緩和的な金融政策を運営している。
つまり、円は売られやすい状況に変わりはない。
為替報告書では、日銀に「引き締め」を通じた「対ドルでの円安の正常化」を求めていた。
ベッセント氏が、日銀の現状のゆっくりとした利上げペースを適切と判断しているとは想定しづらい。
ましてや、FRBには利下げが可能と発言しており、対ドルでの円安是正を念頭に入れていたとしてもおかしくない。
チャート:実質金利の推移
トランプ政権、関税合意後も相手方の譲歩なしで行動せず?
ここからは筆者の憶測だが、米国が相互関税をめぐる特例措置の明記、自動車関税の15%引き下げの時期を明確化していないのは、日銀の金融政策への不満の表れではないだろうか? ベッセント氏と言えば、日米関税協議の責任者としても知られる。
8月7日に発動した相互関税をめぐり、当初、米国国土安全保障省の税関・国境取締局 (CBP)やホワイトハウスが官報に掲載した内容において、特例措置は欧州連合(EU)のみと明記された。
日本政府の説明では、7月22日の日米合意で日本に対して「一律15%(関税率が15%未満の品目は15%、15%以上の品目は従来の水準通りで15%の上乗せなし)」とあったが、実際には「上乗せ15%」となったことが発覚。
自動車・部品への関税も25%上乗せされた状態となり、問題視された。
結局、赤沢経財相が訪米し、日本も特例措置の対象であるとの言質をとったと発言し、ホワイトハウス高官からも是正する方針が示された。
ところが、ベッセント氏の日経新聞インタビュー記事を振り返っても、「関税は角氷のように溶けていくべき存在だ…米国に生産拠点が戻れば輸入量も減って、国際不均衡の是正につながるだろう」と発言した程度で、特例措置への言及は見当たらない。
自動車関税の引き下げも、前述したように英国と比較して50日との数字を持ち出したが、「長くなるかもしれない」と述べ、曖昧な表現にとどめていた。
これは、日銀の利上げペースをにらんだ上で対応を決める、という「様子見モード」に入ったように映る。
報道によれば、日本政府関係者は米国が特例措置に日本を明記していなかった問題につき、米国側の事務的ミスと説明した。
しかし、本当にそれだけだろうか? 欧州連合(EU)との関税合意に関する文書は作成中だが、英フィナンシャル・タイムズ紙によれば、調整が難航中だという。
EUデジタルサービス法(DSA)をめぐり譲歩を迫るも、EU側が拒否しているためだ。
こうした状況を踏まえると、トランプ政権の関税合意後の一連の動きは、相手国側の具体的な対応や譲歩を前提として進捗を図っている節がある。
つまり、米国側のアクションは、相手国の姿勢や交渉の進展に応じて初めて動き出す構造になっているのではないか。
ベッセント氏による日銀は利上げすべきとの見解を受け、赤沢氏は「日本に利上げを求めるとは言っていない」と火消しした。
しかし、日本の第2四半期実質GDP成長率・速報値は前期比0.3%増、Q1も同0%→同0.1%へ上方修正され、5四半期連続でプラスとなった。
個人消費に力強さが欠けるとはいえ、8月15日時点で10月28~29日の日銀金融政策決定会合の利上げ織り込み度は34%へ上昇。
2026年3月までの会合のなかで、最も利上げ期待が高まる状況だ。
一方で、日銀が外圧により利上げを行えば、中銀の独立性が揺らぐこと必至だ。
8月29日の中川審議委員や、9月2日の氷見野副総裁による講演で、今後の利上げへ向け新たなヒントが出てくるのか、日銀による市場との対話が待たれる。

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株式会社ストリート・インサイツ代表取締役・経済アナリスト 安田佐和子
世界各国の中銀政策およびマクロ経済担当の為替ライターの経験を経て、2005年からニューヨークに拠点を移し、金融・経済の最前線、ウォール街で取材活動に従事する傍ら、自身のブログ「My Big Apple NY」で現地ならではの情報も配信。
2015年に帰国、三井物産戦略研究所にて北米経済担当の研究員、双日総合研究所で米国政治経済や経済安全保障などの研究員を経て、現職。
その他、ジーフィット株式会社にて為替アンバサダー、一般社団法人計量サステナビリティ学機構にて第三者委員会委員を務める。
NHK「日曜討論」、テレビ東京「モーニング・サテライト」の他、日経CNBCやラジオNIKKEIなどに出演してきた。
その他、メディアでコラムも執筆中。
X(旧ツイッター):Street Insights
お問い合わせ先、ブログ:My Big Apple NY
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