米国人の食料不安、コロナ禍超えの急拡大
米国経済の表層に映るマクロ指標と、その水面下で進行する生活実態の乖離が一段と鮮明になっている。
米Q1実質GDP成長率は前期比年率2.0%増と、潜在成長率に沿う結果となった。
米4月小売売上高は前月比0.5%増と、引き続き良好な家計の需要を反映したと言える。
しかし、ニューヨーク連銀が5月27日に公表した消費者期待調査(SCE)の新たな分析は、こうした「堅調な経済」という物語が一部の層にのみ当てはまる虚構である可能性を、データをもって突きつけた。
NY連銀の調査によれば、2月時点で「食料が十分に確保できない」と回答した世帯の割合は10%に達した。
これは2020年6月時点の4%から実に2.5倍へ跳ね上がり、コロナ禍対応として大規模な財政支援が行われていた時期をも超える数字となった。
食料支援の受給状況も同様の悪化傾向を示しており、食料寄付を受けた世帯は10.6%から15.8%へ、SNAP(補足的栄養支援プログラム)の受給世帯は10.6%から17.9%へとそれぞれ拡大。
生活費を賄うために貯蓄を取り崩したと回答した世帯も21.8%から36.8%へと急増しており、家計の余力が急速に失われていることを示す。

チャート:食料を十分確保できずと回答した割合、2020年6月から大幅上昇
同連銀のエコノミストらは「食料不安の顕著な増加が確認されており、特に低学歴・低所得世帯や幼い子供を抱える世帯で際立っている」と振り返った。
悪化は特定の属性に限定されるものではなく、人種・年齢・収入・学歴など幅広く確認されているが、非白人、低所得・低学歴層、子育て世帯でその傾向が特に顕著だという。
コロナ禍で拡充されたSNAP給付など財政支援策の失効が、こうした層への打撃を増幅させた構図が浮かび上がる。
消費者センチメントの低迷を読み解くカギ
米国人の食料不安を先取りしてきた指標こそ、消費者センチメントと言えよう。
米5月ミシガン大学消費者信頼感指数(確報値)は44.8と過去最低を更新、米5月消費者信頼感指数も93.1と、前月比を0.7ポイント下回り、「職が豊富」との回答から「就職が困難」を差し引いた指数も6.9と分岐点のゼロが視野に入りつつある。
マクロ経済指標の底堅さと対照的なセンチメントの結果に対し、NY連銀は食料不安の拡大が一つの有力な説明になりうると指摘。
食料不安の深刻化と低所得世帯における悲観論の台頭は「同時進行」しており、就職見通しへの期待も急低下する状況だ。

チャート:米5月ミシガン大学消費者信頼感指数(確報値)は過去最低、インフレ期待の上昇が影響

チャート:消費者信頼感指数が示す「職が豊富」と「就職が困難」の差、分岐点のゼロが視野に
今回の結果に対し憂慮すべき理由は、データの調査期間が2月であり、その後に発生した米・イスラエルによる中東への攻撃に伴う原油供給の逼迫やガソリン価格の急騰が反映される以前だったということだ。
足元の物価上昇圧力が既往の調査結果に上乗せされることを考慮すれば、家計の実態はさらに悪化している蓋然性が高い。
「中産階級の縮小」の正体、没落ではなく上方シフトか
K字型分岐を論じるにあたって、米国の所得階層構造の変化について重要な視点を補っておく必要がある。
米国企業研究所(AEI)が1月に公表したレポートは、「中産階級が縮小している」という通説に根本的な疑問を投げかけた。
レポートによれば、絶対的な購買力を基準とした定義を用いれば、中産階級の縮小は事実だが、その要因は下方への没落ではなく上方へのシフトにあるという。
上位中産階級の割合は1979年の10%から2024年には31%へと3倍超に膨らみ、現在では全家族収入の半分をこの層が占めるに至った。
貧困・準貧困層の割合も30%から19%へと大幅に低下しており、所得分布全体で実質的な改善が進んできた事実は軽視できない。

チャート:階層別の世帯割合、貧困層から中間層の割合が低下し上位中間層以上が上昇
これは、K字型分岐の議論を否定するものではない。
むしろ、「中産階級の没落」という単純な物語では捉えられない複雑な構造を示している。
経済の果実が上位に集中する傾向は続いており、所得が伸びた速度には所得水準によって明確な格差がある。
上位中産階級と富裕層が受け取る所得シェアは1979年の28%から2024年には68%へと倍増以上に拡大した。
上方シフトの恩恵を享受できた層と、その波に乗れなかった層の間には、依然として大きな断絶が横たわっている。
K字型経済の深化と二極化の現実
今回のNY連銀調査が映し出すのは、まさにこのK字型分岐の下方に取り残された層の現実だ。
Kの上方に位置する富裕層・上位中産階級は、株高による資産効果、住宅資産価値の上昇、低金利時代の借り換えによる住宅ローン負担の軽減などを享受し、富を着実に蓄えてきた。
現在の米国経済の消費を実質的に下支えしているのは、この層の購買力だ。
対照的に、下方に位置する中低所得層はコロナ禍以降の物価上昇の累積効果と財政支援の縮小という二重の圧力に晒されてきた。
トランプ政権による大規模な関税の引き上げが新たなインフレ圧力を加え、中東情勢が招いたエネルギー価格の急騰がこれに重なることで、低所得層の購買力はさらなる侵食に直面している。
労働市場において解雇は比較的低水準でも採用も伸び悩む「低採用・低解雇(Low Hire, Low Fire)」の状態が続き、クレジットカードや自動車ローン、学生ローンの延滞率は高止まりしたままだ。
「堅調な経済」という物語の限界
AEIの研究が示すように、米国の所得分布全体では過去半世紀にわたって実質的な改善が続いてきた。
しかしそれは、全員が等しく恩恵を受けたことを意味しない。
上方シフトの波に乗れなかった層にとって、食料不安の急増は抽象的な統計ではなく、日々の生活の現実だ。
NY連銀の研究は、センチメントの低迷を「心理的な過剰反応」として片付けることの危うさを改めて示した。
「堅調な経済」という物語の陰で、食卓を維持することさえ困難な世帯が急増しているという事実は、米国経済の「堅調さ」が特定の層に極度に偏在した脆弱な構造の上に成り立っていることを数字が証明している。

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株式会社ストリート・インサイツ代表取締役・経済アナリスト 安田佐和子
世界各国の中銀政策およびマクロ経済担当の為替ライターの経験を経て、2005年からニューヨークに拠点を移し、金融・経済の最前線、ウォール街で取材活動に従事する傍ら、自身のブログ「My Big Apple NY」で現地ならではの情報も配信。
2015年に帰国、三井物産戦略研究所にて北米経済担当の研究員、双日総合研究所で米国政治経済や経済安全保障などの研究員を経て、現職。
その他、ジーフィット株式会社にて為替アンバサダー、一般社団法人計量サステナビリティ学機構にて第三者委員会委員を務める。
NHK「日曜討論」、テレビ東京「モーニング・サテライト」の他、日経CNBCやラジオNIKKEIなどに出演してきた。
その他、メディアでコラムも執筆中。
X(旧ツイッター):Street Insights
お問い合わせ先、ブログ:My Big Apple NY
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