米20年債入札直前、長期ゾーンの買い戻しを倍増
米財務省は8月19日、流動性支援を目的とする米国債買い戻し(buyback)のうち、残存10~20年と20~30年の名目利付債について、1回当たりの上限を20億ドルから少なくとも40億ドルへ引き上げると発表した。
9月9日から11月4日まで適用し、その後の方針は同日の四半期定例入札発表(QRA)で示す。
米財務省は、長期ゾーンの買い戻しへの参加が活発で、条件の良い応札が恒常的に多く寄せられていることを理由に挙げた。
しかし、米30年債利回りが8月18日に一時5.337%と2007年以来の高水準を付けた翌日の発表とあって、米長期金利の上昇に対応したとの思惑を招いた。
ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)紙のニック・ティミラオス記者は、四半期定例入札発表からわずか2週間後、かつ160億ドルの20年債入札を数時間後に控えた異例のタイミングに注目。
ある金利ストラテジストの「当局は市場で起きていたことを好ましく思わなかったのだろう」との見方を紹介した。
発表後は米30年債利回りが約8bp、10年債利回りが約5bp低下した一方、米2年債利回りは小幅に上昇し、イールドカーブはフラット化したと報じられた。
米財務省が長期金利の上昇を放置しないとのシグナルが効いたと考えられる。
米長期金利の低下につれ、ドル円も一時157円台まで急落した。

チャート:米財務省が買い戻し拡大を発表した際のドル円と米10年債利回りの推移、5分足
QEではない、だがツイスト・オペに近い
米財務省による国債買い戻しと、量的緩和(QE)の違いは、買い手と資金の出所にある。
QE:FRBが国債などを買い入れると、決済に伴って金融機関がFRBに保有する準備預金が増加する。
その結果、FRBの資産側では保有国債、負債側では準備預金が増え、バランスシートとベースマネーが拡大する。
民間部門が保有する米長期債を減らし、タームプレミアム(米長期債を保有する間のインフレや金利上昇による価格下落リスクに対し、投資家が求める上乗せ金利)や長期金利を押し下げることを狙う。
米財務省の買い戻し:米財務省が税収や国債発行などで得た資金を使い、流動性の低い既発債を買い戻して消却する債務管理策。
決済時に米財務省一般勘定(TGA)から資金が出れば準備預金は一時的に増えるが、米国債発行や税収でTGAを補充すれば再び吸収される。
したがって、準備預金やベースマネーを持続的に増やすQEとは異なる。
もっとも、米長期債を買い戻す一方、資金需要を米短期国債の増発で賄えば、市場が保有する国債の平均残存期間は短くなる。
FRBが2011年に米短期債を売却・償還し、その資金で米長期債を買ったツイスト・オペと、需給面の効果は似る。
ただし、今回の買い戻し資金をどの年限の発行で賄うかは個別にひも付けられていない。
米財務省は制度導入時、債務全体の満期構成を大きく変えない方針も示していた。
したがって、現段階で「米財務省版ツイスト」と断定するのは時期尚早と言えよう。

チャート:米短期ゾーンの残高比率(いずれも市場で取引される米国債の残高に占める割合。Tビル残高比率はTビルのみ、残存1年以内比率はTビルに加え、満期まで1年以内となった中長期債などを含む)
イエレン時代の制度をベッセント氏が拡張
現行の定例買い戻しは、イエレン前財務長官の在任中に設計された。
米財務省は2023年5月に導入方針を示し、2024年5月1日には同月29日に初回オペを実施すると発表した。
目的は、既発債の流動性改善と財務省の資金繰り管理であり、イエレン氏も市場機能を支える施策として評価していた。
ベッセント氏はかつて、イエレン財務省が短期国債の発行を増やし、長期金利を抑えて選挙前の景気を支えたと批判した。
それにもかかわらず、短期国債への依存を続け、今回はイエレン時代に始まった仕組みを使って米長期債の買い戻しを倍増する。
このため、市場からは「イエレン氏を批判しながら、結局は同じことをしている」との皮肉が相次いだ。
ただし、両者が完全に同じ政策を採ったわけではない。
批判の核心は、買い戻しそのものより、債務管理を通じて長期金利に働き掛ける「政策の効果」と、過去の主張との不整合にある。
米財務省のFAQは、流動性支援買い戻しを市場混乱時の救済措置ではなく、既発債を売却する定期的かつ予見可能な機会を提供する制度と位置付けている。
それだけに今回の四半期途中の拡大は、「市場機能の改善」と「長期金利の下支え」の境界を曖昧にした。
米財務省の買い戻し、ウォーシュ氏が評価した市場主導の金利形成に一石
7月FOMC後の会見で、ウォーシュFRB議長は、FRBによる市場誘導の度合いが弱まり、名目・実質金利が経済指標に反応して上昇したことを「有用な進展」と評価した。
スティープニング自体を歓迎するとは述べていないものの、会見後に短期金利が低下する一方、超長期金利が上昇したため、市場では「スティープニングを歓迎したも同然」との解釈も浮上した。
今回の発表直後はその動きが反転し、イールドカーブはフラット化した。
米財務省とFRBは別組織であり、ウォーシュ氏に買い戻しを承認・阻止する権限はない。
それでも、米長期金利の低下は住宅ローンや企業の調達コストを通じて金融環境を緩める。
米財務省が長期ゾーンを繰り返し支えれば、FRBが政策金利を据え置いても、市場が担っていた引き締めの一部が薄れる。
FOMCによる金融環境の評価や、政策金利と量的引き締めの運営にも影響が及ぶ可能性がある。
なお、英FT紙は8月6日、ウォーシュ氏に近い関係者の話として、同氏が就任後10週間の情報発信に誤りがあったと認めたと報じた。
具体的には、物価安定への決意を十分に補強しなかったことと、FRBの長期改革が目先の政策判断に影響するかを巡り混乱を招いた点であり、スティープニングに関する発言を撤回したわけではなかった。
11月QRA、焦点は米長期債の実質供給額と平均残存期間
1回40億ドルは巨大な米国債市場全体からみれば小さい。
したがって、今回の効果は米長期債の需給を直接変える力より、「利回りがどこまで上がれば米財務省が再び動くか」という引き金となる水準を市場に意識させた点にある。
いわば米財務省版の「ベッセント・プット」であり、今後も同様の措置が続けば米長期債のタームプレミアムを抑える可能性がある。
一方、長期ゾーンの買い戻し増額が11月4日で終了し、効果がオフ・ザ・ラン債(取引が少なくなった既発債)の流動性改善にとどまれば、影響は局所的かつ一時的となる。
反対に、11月4日のQRAで増額の継続に加え、資金調達をTビルへ寄せる方針が示されれば、ツイスト・オペに近いフラット化圧力が強まる。
今回の措置が既発債市場の流動性対策にとどまるのか、それとも「米財務省版ツイスト」へ踏み込むのか。
その判断材料となるのは、①米長期債の新規発行額から償還額と買い戻し額を差し引いた、市場への実質供給額、②Tビル残高比率と残存1年以内比率、③米国債の加重平均残存期間(WAM)――などである。
米長期債の市場への実質供給額が減り、短期ゾーンの残高比率が上昇してWAMが短期化すれば、QEではないものの「米財務省版ツイスト」との見方が強まりそうだ。
併せて確認すべきは、買い戻し後の利払い負担である。
短い年限への置き換えによって借り換え頻度が高まり、新発債の金利が高止まりするほど利払い負担が膨らむ可能性がある。
実際の負担は、買い戻し価格、買い戻す既発債の表面利率、新発債の金利・発行額に左右される。

チャート:米国債の残存期間

Provided by
株式会社ストリート・インサイツ代表取締役・経済アナリスト 安田佐和子
世界各国の中銀政策およびマクロ経済担当の為替ライターの経験を経て、2005年からニューヨークに拠点を移し、金融・経済の最前線、ウォール街で取材活動に従事する傍ら、自身のブログ「My Big Apple NY」で現地ならではの情報も配信。
2015年に帰国、三井物産戦略研究所にて北米経済担当の研究員、双日総合研究所で米国政治経済や経済安全保障などの研究員を経て、現職。
その他、ジーフィット株式会社にて為替アンバサダー、一般社団法人計量サステナビリティ学機構にて第三者委員会委員を務める。
NHK「日曜討論」、テレビ東京「モーニング・サテライト」の他、日経CNBCやラジオNIKKEIなどに出演してきた。
その他、メディアでコラムも執筆中。
X(旧ツイッター):Street Insights
お問い合わせ先、ブログ:My Big Apple NY
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