ウォーシュFRB議長、コミュニケーション失敗から軌道修正
ウォーシュFRB議長は、就任後わずか10週間で市場とのコミュニケーションの軌道修正を迫られたようだ。
英フィナンシャル・タイムズ(FT)紙は、ウォーシュ氏に近い関係者の話として、本人が就任後10週間の市場とのコミュニケーションに問題があったと認識していると報じた。
7月の米連邦公開市場委員会(FOMC)後には、長期金利の上昇や米長短金利差の拡大を容認する姿勢と受け止められ、イールド・カーブのスティープ化が進んだ。
今回のジャクソン・ホール講演は、その反省を踏まえた発信だったとも考えられる。
実際、今回の講演では物価への警戒をかなり明確に打ち出した。
「FRBが現在、最も重視すべきなのは物価だ」と明言し、基調インフレが2%目標へ「明確かつ十分な速さ」で向かっていると確信できなければ「まだやるべき仕事がある」と述べた。
米7月PCE価格指数は前年比3.7%、6カ月年率では4.1%と高く、講演後には9月利上げ確率が前日の35%から57%へ急上昇。
米2年債利回りも一時11bp上昇した。
英FT記事も、これを「インフレが早期に低下しなければ利上げする用意がある」と受け止めている。

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チャート:FF先物市場、ウォーシュ氏講演後に利上げ織り込み度が再逆転
ただし、ここで重要なのは、ウォーシュ氏が9月利上げそのものを約束していないことである。
講演冒頭では、内容をジャクソン・ホールという風光明媚な観光地になぞらえ「アウトライン」や「トレイルマップ」と呼んでも構わないが、「フォワード・ガイダンスとは呼ばないでほしい」とわざわざ断った。
平時のフォワード・ガイダンスは限定すべきであり、将来の政策金利について明確な道筋を示せば、政策当局自身の判断の自由を損なうという考え方である。
結びでも「私は今日ここで、特定の決定ではなく、規律にコミットする」と強調した。
この「規律」と「決定」の切り分けこそ、今回の軌道修正を理解するカギだろう。
ウォーシュ氏はPCE価格指数で測った2%のインフレ目標を「揺るぎない目標」と位置付け、短期金利を金融政策の主要手段とすると明確にした。
その一方で、9月会合で何をするかまでは約束していない。
タカ派的な方向性は示しながら、個別会合の政策判断については自由度を確保する構えだ。
アダム・ポーゼン元英MPC委員が、講演について「内容の充実度や具体性では期待を上回った」と評価しながら、ウォーシュ氏が「自分の裁量を最大限に確保し、説明責任を最小限にしようとしているように見える」と批判したのは、このためであろう。
ポーゼン氏は、2%のPCE目標や、賃金上昇率をインフレ予測の決定的な指標とはみなさない点については評価した。
一方で、示された「原則」は一般論が目立ち、金融政策に不可欠な「ルール対裁量」の問題について明確な線引きには踏み込まなかったとみる。
実際、ウォーシュ氏は賃金という分かりやすい政策判断の物差しの重要度を下げた。
講演では、PCE価格指数を構成する199の個別項目を分解してみることは「非常に示唆に富む」と述べ、賃金上昇率は将来のインフレを予測する信頼できる指標ではないとの認識を示した。
「賃金上昇→インフレ」と機械的に考えるのではなく、総需要と総供給のバランスが、どの程度広範な価格上昇につながっているかを見る姿勢である。
問題は、その代わりとなるリアクション・ファンクションがまだ明確でないことだ。
どの程度までインフレの「広がり」が残れば利上げするのか、どこまで縮小すれば据え置くのかという閾値は示していない。
FRBは現在、コミュニケーション、バランスシート、データ、生産性・雇用、インフレの5つのタスクフォースを設置して政策運営を検証している。
ウォーシュ氏は、従来の物差しを一部取り外しながら、新しい政策判断ルールをまだ完成させていないとも言える。
長期金利は米財務省、短期金利はFRB
市場の反応は7月とは逆だった。
今回は物価への警戒を前面に出したことで、政策金利を反映しやすい短期金利の上昇幅が長期金利を上回り、イールド・カーブはフラット化した。
7月の「長期金利上昇を容認している」と受け取られかねない発信から、今回は物価安定へのコミットメントを前面に出す方向へ修正したと考えることができる。
この点は、米財務省の国債買い戻し政策とも無関係ではない。
米財務省は8月19日、10~20年、20~30年の名目国債について、1回当たり最大20億ドルだった買い戻し額を9月9日から少なくとも40億ドルへ倍増すると発表した。
7月FOMC以降の長期金利上昇が直接この判断を引き起こしたと断定することはできないが、長期ゾーンの需給悪化への警戒と、FRBのコミュニケーションが同時に問題化した点は重要である。
さらにCNBCはその後、米財務省が長期債買い戻しの資金源として、1兆ドル近い残高を抱える財務省一般勘定(TGA)の活用を検討していると報じた。
TGAを使えば、買い戻しのたびに短期債を追加発行する必要がなく、財務省は手元資金を直接投入して長期債の需給改善を図ることができる。
ただし、TGAは政府の日々の支払いに備えた現金残高であり、長期債買い戻しのために無制限に取り崩すことはできない。
いずれ残高を回復させるには国債発行などによる資金調達が必要となり、連邦債務が40兆ドルを超えるなかでは、41.1兆ドルの法定債務上限との距離も意識される。
かといって、買い戻し資金を最初から短期債の増発で賄えば、長期債を減らす一方で短期債を増やすことになり、政府債務の満期構成を短期化するにすぎない。
しかも短期債への依存度が高まるほど、ウォーシュ氏率いるFRBが政策金利を引き上げれば、米財務省の利払い負担はより速いペースで増加する。
結果として長期金利の上昇圧力を和らげ得る債務管理と、インフレを抑えるための金融引き締めが、短期金利を介してぶつかる可能性がある。
9月FOMCでは、ウォーシュ氏の利上げ姿勢だけでなく、FRBの金融政策と財務省の長期債買い戻しをどう切り分けるのかも焦点となりそうだ。
ジャクソン・ホールは「政策予告の場」から変わるのか
その意味では、ウォーシュ氏が平時のフォワード・ガイダンスを限定すべきとの立場を示したことは、ジャクソン・ホール会議そのものの位置付けにも影響を与えそうだ。
2010年のバーナンキFRB議長(当時)は講演で量的緩和(QE)第2弾を示唆し、同年11月のFOMCで正式決定した。
2020年はパウエル議長が平均インフレ目標など新たな政策枠組みを発表。
2022年にはインフレ抑制のためには景気や雇用への「痛み」を伴っても金融引き締めを続ける姿勢を明確にし、2024年には「政策を調整する時が来た」と利下げ局面への転換を事実上予告した。
2025年には政策枠組みを再び見直し、2020年に導入した平均インフレ目標などを撤回した。
これに対し、ウォーシュ氏が狙っているのは、パウエル時代に強まった「政策シグナルの場」としてのジャクソン・ホール講演の位置付けを弱め、個別会合の政策判断ではなく、政策思想や判断原則を示す場へ戻すことなのかもしれない。

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9月利上げはまだ「決まり」ではない
今後の焦点は9月FOMCまでの経済指標である。
米8月雇用統計に加え、9月11日発表の米8月CPIは利上げ判断を大きく左右する。
中間選挙前という政治日程も無視できない。
トランプ大統領が利下げを強く求めてきただけに、9月利上げには政治的な重さが伴う。
トランプ政権1期目では2018年に当時のパウエルFRBが9月26日に25bpの利上げを実施した。
その翌年には7月から3回の利下げへ転じており、今回も利上げ後に景気・物価情勢次第で再び政策調整に転じる可能性は排除できない。
結局、ウォーシュ氏は今回のジャクソン・ホール講演で、9月利上げを明確に示唆したとは判断しづらい。
むしろ、2%の物価目標を守る「規律」にはコミットしつつも、個別会合の「決定」にはコミットしない姿勢を示したとみるのが妥当だろう。
7月のコミュニケーション失敗は修正したものの、市場がウォーシュ氏自身の判断を読み解かなければならない構図は残った。
9月FOMCまでの経済指標や米財務省の長期債買い戻しを考えれば、「9月利上げで決まり」と判断するのは早計と言えそうだ。

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株式会社ストリート・インサイツ代表取締役・経済アナリスト 安田佐和子
世界各国の中銀政策およびマクロ経済担当の為替ライターの経験を経て、2005年からニューヨークに拠点を移し、金融・経済の最前線、ウォール街で取材活動に従事する傍ら、自身のブログ「My Big Apple NY」で現地ならではの情報も配信。
2015年に帰国、三井物産戦略研究所にて北米経済担当の研究員、双日総合研究所で米国政治経済や経済安全保障などの研究員を経て、現職。
その他、ジーフィット株式会社にて為替アンバサダー、一般社団法人計量サステナビリティ学機構にて第三者委員会委員を務める。
NHK「日曜討論」、テレビ東京「モーニング・サテライト」の他、日経CNBCやラジオNIKKEIなどに出演してきた。
その他、メディアでコラムも執筆中。
X(旧ツイッター):Street Insights
お問い合わせ先、ブログ:My Big Apple NY
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